Ἐγώ εἰμι Ἰησοῦς.
大文字、小文字を混ぜて書いているが新約聖書時代では全て大文字で書かれていた。単語と単語は切り離されることなく連続して書かれた。
ΕΓΩΕΙΜΙΙΗΣΟΥΣ.
小文字が使われるようになるのは8世紀後半だ。
ΕΓΩ「自分は」は全て強調だ。普通は省く。
ここでアルファベットの練習をしよう。辞書を引く場合、この順序が頭に入っていないとまごつく。
まず大文字
ΑΒΓΔΕΖΗΘ
ΙΚΛΜΝΞΟΠ
ΡΣΤΥΦΧΨΩ
Koine Greek Alphabet
( )にどの文字が入るかな。
ΑΒΓΔΕ( )ΗΘ
ΙΚΛΜΝ( )ΟΠ
ΡΣΤΥ( )ΧΨΩ
正解
ΑΒΓΔΕ(Ζ)ΗΘ
ΙΚΛΜΝ(Ξ)ΟΠ
ΡΣΤΥ(Φ)ΧΨΩ
もう少し続けてみよう。
ΑΒΓΔΕΖΗ( )
ΙΚΛΜΝΞ( )Π
( )ΣΤΥΦ( )ΨΩ
正解
ΑΒΓΔΕΖΗ(Θ)
ΙΚΛΜΝΞ(Ο)Π
(Ρ)ΣΤΥΦΧΨΩ
同じく使徒行伝22章パウロが「自分はキリキア生まれのユダヤ人です」と述べるシーン:
ΕΓΩ ΕΙΜΙ ΑΝΗΡ ΙΟΥΔΑΙΟΣ.
エゴー エイミ アネール イウダイオス
ヨハネ伝1章ヨハネに対して「あなたは誰なんですか」、 「私はキリストではない」という問答をする場面:
ΣΥ ΤΙΣ ΕΙ;
ΕΓΩ ΟΥΚ ΕΙΜΙ Ο ΧΡΙΣΤΟΣ.
ἘΓΩ ἘΙΜΙ Ὁ ΘΕΟΣ ἈΒΡΑΜ
ΚΑΙ Ὁ ΘΕΟΣ ἸΣΑΑΚ
ΚΑΙ Ὁ ΘΕΟΣ ἸΑΚΩΒ.Matt.22.32
私はアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である。
ἐγώ εἰμι Κύ[ῡ]ριος, καὶ οὐκ ἔστιν.イザヤ書45:18
ギリシャ語訳聖書セプチュアギントの1節。fは「主人」、「マスター」。
「キュリエ エレーソン」 主よ 憐れみたまえ。
ἐγώ εἰμι ὁ Θεός, καὶ οὐκ ἔστιν ἄλλος.イザヤ書 45:22
私が神である。他に神はいない。
創世記ギリシャ語口語訳付きを出版した:
左側にギリシャ語テキスト、右側に口語訳。
クリスチャンは旧約聖書を読んでいるがそれはヘブライ語聖書から翻訳されている。
ところが紀元1世紀の教会ではギリシャ語訳聖書すなわちセプチュアギントを読んでいた。
パウロが引用する旧約のほとんどはセプチュアギントだ。
現存する最古の旧約聖書はヘブライ語聖書ではなく、
セプチュアギントだ。
その写本は4世紀のものでバチカンが所蔵している。
ヘブライ語聖書の最古
の写本はLeningrad Codexでぐっと後代の11世紀初頭のものだ。
なぜ現代のクリスチャンは初期教会が読んでいたセプチュアギントを捨てて、ユダヤ教
の聖書の翻訳を読んでいるのだろう。恐らくヘブライ語から直接訳した方が正確じゃないか
と考えているのかも知れないが、果たしてそうなのか。 ユダヤ教はキリストを否定している
からそのドグマに沿うようにあちこち書き換えていると主張している学者さへある。
新約聖書に引用されている旧約はほとんどセプチュアギントなのに、クリスチャンが
持っている旧約はヘブライ語聖書の翻訳だから実はおかしなことが起こっている。
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